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なかなか出来ない断捨離。
2016.07.26 (Tue)
皆さま、お久しぶりです。この記事は以前書きかけていたものです。




ここ数日、私は色々と思い悩んでおりました。
知った仲の友人2人が(普通に言えば親友と言うのでしょうが私は余りこの言葉が好きではありません)最近色んな問題を抱えていて、それを自力で乗り越えようとしているのを見て自分自身を振り返っていました。振り返っていた、というより思い悩んでいた、と言った方が良いと思います。友人達の問題はここでは触れる事は遠慮させて戴きたいと思います。色々と考えて疲れてしまい、今日は余り考える事もなく過ごしました。「私の問題じゃないし。私は私のやり方があるし。」と。

そして今日も寝付けずにTVを観ていると、「稲垣えみこさん」が出演されておられました。稲垣さんは朝日新聞社の社員を今年辞めて、電気・ガスを必要最低限しか使わない生活をされています。その生活を送るきっかけになったのは原発事故だったそうです。

朝日新聞の記者ですから、収入に見合った生活をして買い物三昧。転機が訪れたのは香川支部に配属された時。あるお遍路さんとすれ違い、其の直ぐ後に涙が込み上げてきて泣いてしまったと。香川はお遍路さんのゴール地点で、その道中大変な事がある中色んな方に助けられたからこその笑顔を見て、物に依存する生活に疑問を持たれたそうです。物を持ったらそれがなくては生活が出来なくなる。それは縛られて生活している事だと思われたそうです。そんな中起きた東日本大地震。原発事故。稲垣さんは、物を持たない生活をすることを決意されました。

物が溢れかえった中で生活している私と真逆です。母が亡くなってから物に依存するようになりました。母の遺品のアクセサリーを父が勝手に父方の親族にあげてしまったこと。衣類も全て処分してしまったこと。書籍類も。母が亡くなる少し前に実家の私の部屋はアパートになったので、私の部屋はもうありません。その際私物は全て処分しました。短期間の間に失った物が多すぎて、私は物に依存するようになったのかも知れません。そんな私ですが、大学生の頃に読んだ雑誌の小説に登場する主人公のお祖母さまが銭湯に行った時、外国製の石けん一つで髪も顔も身体も洗うシーンがあり、「なんて粋なんだろう!」と感嘆したことがあります。影響を受けすぎて、母に、「私、トランク一つで世界中旅できる身軽なカッコいい女性になりたい!」と息巻いて話したのを思い出しました。

今は断捨離が出来ない私ですが自分で自分を責めることをやめて、物に依存しない生活が送れる日が来る事を願います。

たわいもない話を読んで下さって、ありがとうございます。

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【記事編集】 01:55 |  戯言| トラックバック:0 |  コメント:0 |  Top↑
直らない性分
2015.12.11 (Fri)


  私の直らない性分、それはお節介焼きな事。

  今迄、何回となくそのことで友人とトラブったか。 でも懲りずにまたやってしまう。

  親しくなると、相手が踏み込んで欲しくない所にまで踏み込んで行ってしまう傾向がある。と自己分析しています。 それに余計な一言が多い。 相手の気にしている事を指摘してしまう。もっと、ファジーでオブラートに包んだ物言いが出来る配慮のある人間にならないと。

  距離感。

  って、大切ですよね。





【記事編集】 09:47 |  戯言| トラックバック:0 |  コメント:0 |  Top↑
無題
2015.06.18 (Thu)

 今日は、なんだか気分が落ち込んでいて、
 
 皆さまが読んで気分の良い文章にはならなさそうです。

 ですので、不快と思われる方は、この先は読まないで下さいませ。










  この病気になってから、希死観念に悩まされて来ました。

  それは今も続いています。

  昨日は、通院日でした。

  帰りに、美味しいちらし寿司を買い、フルーツケーキも買って帰って来ました。
  篠田桃紅さんの、「103歳になってわかったこと」も購入して、読み終えました。
  電話で友人と楽しく会話をして、音楽番組も楽しく観ました。
  夫とも楽しく食事をして、とっても満たされた気持ちで眠りにつきました。
  が、一時間ちょっとで起きてしまいました。

  ここの所、嫌な事を思い出して眠れない日々が続いています。
  ●●たい。と言う言葉も浮かんで来ます。

  私は躁鬱もあるので、調子が良かった後は落ちます。
  でも、これでも良くなった方なのです。

  以前は包丁・カッター・はさみなどで、猫のひっかき傷程度の自傷を繰り返して居ました。
  自分が駄目な人間と思い、頭を壁に打ち付けたり、叩いたりしました。
  身体中を叩いたりもしました。

  父は、「親に貰った身体に傷をつけるな!」 と言いましたが、
  私は、良くそんな事が言えるな。と思っています。

  だって、父の暴力で私は失明していたかも知れないのですから。
  鼻だって、折られているし。

  親が傷をつける娘なのだから、自分で傷つけたっていいだろう。
  そう、思っていたのかも知れません。

  今朝、●●たい。辛い。と思っていましたが、
  自傷していた頃の自分を思い出して、自分が可愛そうに思えて泣きました。
  初めて、自分が可愛そうと思って泣きました。

  そして、母はもっと辛かっただろうと思います。
  つくづく、私は親不孝者です。

  女手一つで高校でアメリカ留学をさせて貰い、大学にも行かせてくれて。
  (父親からは学費は出して貰っていません。
  全て、母のお金です。)

  それなのに、父と一緒になって母を馬鹿にする様な事を言ったりもしていました。

  今、母と話せるなら、手をついて謝りたいです。

  親孝行、したいと思う時に親はなし。

  この言葉が胸に沁みます。











【記事編集】 06:19 |  戯言| トラックバック:0 |  コメント:0 |  Top↑
3年、経ちました。
2015.04.21 (Tue)


  皆さま、昨日は荒れた空模様になりましたが、お元気にお過ごしでしょうか?

  母が旅経ってから、3年強経ちました。
  5月10日に納骨が決まりました。
  とうとう、お墓に入ってしまいます。
  遠くに行ってしまう様な気持ちにもなりますが、マメに逢いに行きたいと思います。
  
  3年前は、突然亡くなってしまったショックから早く立ち直ろうと必死で、
  無我夢中に元気になろうと無理をした、おまぬけでした。
  早く元気にならなくちゃ。そればかり考えて居ました。

  母が亡くなって、僅か二日後。
  涙にくれていたところに、掛かってきた電話に出ると。

  「何してた?」

  「泣いてたよ。」

  「お母さんが、天国に行けなくなるから、
   泣いちゃ駄目なんだよ。」

  と言われ。

  49日に会った叔母には。

  「おまぬけ、もっとしっかりせんと。」 とも言われ。

  相続の事、家事、それまで通りにやっていたのに、
  これ以上、何をしろと?

  と思いながらも、

  「やっぱり、私はポンコツだから、もっと頑張らなきゃ駄目なんだ。」

  主治医にも、

  「自分を責めて責めて責め過ぎて、辛いです。」 と言うと、

  「あなたは、確かにお母さんに迷惑かけていたからね。」

  泣きっ面に蜂。 負けず嫌いな私は、

  「じゃあ、元気になってやる。」 と、母の死を哀しむ事をせずに、
  「早く立ち直るんだ。」 と、自分にはっぱをかけて過ごして居ました。

  そんな中、夫が対物事故を起こし、
  社長に、「懲戒免職にする!」 と言われ。

  私も頭を下げに行きましたが、事故の賠償金は半額支払えと。
  そうすれば、懲戒免職は勘弁してやる。

  そう、言われました。

  現状打破の為に、ヘルパーさんに来て貰おうとしたのですが、
  主治医には、無理だろう。と言われました。

  保健師さんが手続きをして下さり、その後ヘルパーさんは来てくれています。

  何回も、主治医を変えようと思いました。

  でも、父が問題なのです。

  父と母は、中学時代から私がこの病を発病する迄、別居状態でした。
  (母は、父と離婚したかったのです。 でも、私が「苗字が変わるといじめられるから別居にして。」
  と言ったそうです。 ショックだったのでしょうね、自分がそう言った事を全く覚えていません。
  その後、私は、親戚の人中に 「何故、お父さんはお母さんと離婚してくれなかったの?」 と
  聞いて周りましたが、皆、「お母さんに聞いてみて。」と言うのみ。 
  結局、母には聞けず仕舞いで、亡くなる数年前に母から事実を訊きました。)


  私が発病した時に、母は父に連絡して、父が我が家に乗り込んで来ました。

  普通の状態ではない私の上に馬乗りになり、顔をはたきまくられました。

  口の端は切れ、目の周りは痣だらけ。

  自宅から締め出され、友人宅で介護されました。

  (その友人は、私を今でも毛嫌いしています。 でも、あれだけの迷惑をかけたのだから、仕方ありません。)

  でも、友人とお母様は、「とても優しいお父様ね。」 と言っています。

  そうなんです、外面は完璧に好いのです。

  従姉妹が数日、自宅に泊まってもその間はずっと好い父親の演技が続きます。
  実際、従姉妹は父の事を好い人と思っていました。
  私が、数年前に父は酷い人間だと言っても、俄かには信じがたかったようで、
  「えー、泊りに行っても仲良かったじゃん。」 と。


  父の事については、一回では書ききれません。 

  「亡くなるのが逆だったら良かったのにね。」 と友人達は言います。

  「そんなに酷い父親が存在するなんて。」 とも言われます。

  でも、今迄の主治医達は、私の言葉も母の言葉も信じず、
  この父親の言う事だけを信じたのです。

  父親の本性を見抜いたのは、現在の主治医ともう一人の女医の方のみ。

  数ヶ月前にも、この父親に、

  「死んでしまえ! 死ねばいいんだ!」 と言われました。

  「お前は、自分が頭がいいのを自慢したいんだろう。  
   東北の震災の様な事が、東京で起きたら。 と仮説を立てられる位、
   自分が賢いと言いたいのか!」

  もう、どっちが頭がおかしいのか解らなくなります。
  この父親と話していると、訳が解りません。
  
  父親の血を引いているから、私はこの病になったのでしょうか。


  悪天候のせいでしょうか。戯言を徒然と書いてしまいました。

  改めて振り返ると、今がどんなに幸せで恵まれているのだろうと心から思います。
  父とは余り接触せずに済みますし。
  と言いながらも、連絡はちゃんとしていますよ。 仕方ない事だから。
  きっと母が天国から、上手く行く様に見守ってくれているのでしょう。

  周囲の人々に恵まれ、助けて戴いて、有難い事です。

  8年前に絶たれていたかも知れない命です。
  体力が続かなくても、文句を言ったらバチが当たります。

  「日にち薬よ。」 「一病息災よ。」

  生前、母が私に遺してくれた言葉です。

  お母さん、ありがとう。

  やっぱり、まだまだ寂しいけれど、
  一歩一歩、踏みしめて生きていくように。

  人より歩みは遅いけれど。

  天国から見守っていて下さい。






  

  

  
【記事編集】 07:05 |  戯言| トラックバック:0 |  コメント:0 |  Top↑
ふと思ったこと
2015.04.01 (Wed)

皆様、ご無沙汰して居ります。

おまぬけ、何とか生息しておりました。

薬が一気に3錠も減り、少し?いや、大分?調子を崩してしまいました。何でも、不安感を弛める薬は3種類以上は処方してはいけなくなったそうです。国の方針で、どんどん薬を減らされていらっしゃる方も多いと思います。薬が減るのは嬉しいのですが、一気に減るとキツイです。ここの所安定して来て、良かったと思った矢先です。少しづつ慣れて来ているのですが、日常生活にも支障があるので、良くなっておくれ~。と、願うばかりです。

前置きが長くなりましたが、ふと思ったこと。このブログを始めた頃のブロ友さんや、他にブログを書いていらっしゃる方々は、「ようこそ我が家へ。いらっしゃい。寛いで下さいね。」と言うスタンスでブログをやっておられる方が多かったです。皆様、ホスピタリティに溢れていて、温かい気持ちになりました。

最近、何かが違って来ました。
自分の意見、自分の主張をされる方が増えて、他の方々と和気あいあいな雰囲気がなくなってしまったような気持ちがします。私だけでしょうか?

かく言う私も、最近は、コスメネタばかりで、ブログを始めた頃の初心を忘れていた気がします。ブログで重い事を書くと、人に不快感を与えるのでは?嫌われたくない。という気持ちが先に立って、私らしくないブログになっていた事を反省して居ます。コスメネタに逃げていたとも言えるでしょう。無理にポジティブになろうとしていました。私は昔から、ポジティブシンキングという物に疑問を持っていたタチですのに。

何を言いたいのか、解らない文章になってしまいましたが…。

おまぬけ、初心に戻りまして、
ありの~ままの~♪ おまぬけで
ブログをお送り致したい所存です。

皆様、お暇な時に、
お立ち寄りくださいますと、
歌って踊って喜びます☆

ではでは、改めて、

よろしくお願い致します
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆



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